オオサカジン

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除雪作業のススメ


いきなりですが僕は雪国育ちです。

サンパチ豪雪なんていわれても知りませんが、小学生だった昭和50年代は、僕の背が成長過程だったことを差し引いても結構な高さまで積もっていたように思います。

記憶している限り高校を卒業する年までは積雪があったように思ってますが、その翌年からは何かあったのかと思うくらい少なかったような気がします。大阪に出てきてたから気にしてなかっただけかもしれませんが。

その後帰省の際に電車で足止めを喰らうほどの経験は1度あったきり。地球温暖化が進んでいるという言葉を信じては無いけど、その信憑性を高める理由を後押しするように降雪量は減ったように感じていました。


人間都合のいいことだけを記憶するものだし、その時その場にいなかったり、長い間意識してなかったら気づかなかっただけかもしれませんが今回はそれを思い出させてくれました。





人と違った時期に休みが取れたりするのでわざわざ混んでるときに帰省しなくても毎年少しずらして行くのですが正直舐めてました、いや、忘れてました、雪のめんどくささを。

到着した時もほとんど積雪はなく、寒さもたいしたことありませんでした。週末少し荒れると聞いていたのですがそれでも10cmくらいの積雪をイメージしていました。この後どんなことになるか想像もしてなかった到着当日です。


翌朝少し降り始めていましたがちらちら程度で済む気配。いつものように、帰るたびに家の修繕を依頼されるのでホームセンターにパネルを買いに行きました。近いのですぐ済むと思い出発。畳一畳ほどの大きさの板ですが軽いし曲がるし乗用車に載せられると余裕でいたのですが、ホームセンターを出る頃急に風が強くなり雪が横に降ってる!これでは駐車場の車に辿り着くまでにパネルごと吹っ飛ばされそうな勢い!仕方なく入り口でしばらく待機させてもらったけど雪は止む気配なし。風がちょっと落ち着いたときを見計らってとにかく乗り込む!だいぶ真っ白になりながら辛うじてパネルだけは押し込んで帰宅。一時は購入したパネルを置いてこようかと思ったくらい絶望的な状況でした。

一旦家に入れば暖房などは大阪の人が羨む位充実してるんで安心ですよ、寒い地方の家は。その分光熱費は馬鹿になりませんが。大通りから少し入ったところにあるのでもともと騒音など関係無いわが実家ですが、雪が降ったときの家の音は体験したこと無い人からすると不思議でしょうね。別にボロ家なわけではない普通の頑丈な家ですがたまに聞こえる『ファサッ(木の枝から積もった雪が落ちる音)』とか『ミキッ(どこかが軋む音)』とか『ヴァサッ(まとまった雪が落ちる音)』とか。『しんしん』と雪が積もる音っていうのは確かに『しんしん』なんですよ。これ以上の表現できませんが、音はしてないけど僅かな空気の振動が伝わってくるんです。

そうなったらあくる日は銀世界。20~30cmの積雪で余裕で雪だるま作成。40年ぶりぐらいですかね、この雪の感覚忘れてました。降った時間によって雪質が違うんで上手くだるまになってくれないんです。思ったより悪戦苦闘、20分ぐらいかけて体高1mほどの雪だるま完成。と、ここまでは余裕の雪国堪能。まだ積雪がこれほどだったので動きやすかったですがもっと高く積もっていたら歩くことすら困難だったでしょう。雪だるま

その日昼くらいから本格的に降りだして一向に止む気配なし。風も強く、時にボタン雪、時に粉雪。解けるどころか積もる一方。昨日親戚に手土産持って行って良かった・・・。




もうこうなったら買い物も行けず家にあるもので何とかするしかないのですが、そこは田舎の家、割と何でもあったりして2,3日生活は出来るかな、贅沢言わなければ。

松雪

朝起きてわかるんですよ、見なくてもどのくらい積もってるか。空気の圧力というか、どの程度まで雪に押し寄せられているかって感じるんです。もうね、隣が見えません。全雪です。

ワゴンR雪

普通の家なら朝出勤しなければいけないので(地方は車通勤が普通)まず車の通る道を確保のために家族総出で雪かき開始。我が家はあわてて車を出す必要もなかったのでご近所さんには申し訳ないのですが朝食後に参加しました。なぜ申し訳ないかというと近所でウチが一番奥にある家なのでご近所さんのやってもらった後にやると自分とこの雪だけ除雪したらいいんです。そうしないと集落の出口からの雪かきに全部かかわらないといけないんです(汗)。集落出口に小さな川があるのでそこに運んで行くんですが行った時にはもうその川は雪で埋まってました。
雪川
申し訳なかったので『緊急時の気道確保』程度しかされてなかったのを『余裕を持って車が通る』幅まで除雪。翌日までも降ることを想定してかなり大きい車でも通ることが出来るほどまでしておきました。

あ、家の前はどうするのか?という疑問もあると思いますがそれは実はすでに対策がされていて除雪するほどまでではないんです。前日から蛇口をひねって水を出しておいて融雪してあるんです。水道ではなく井戸水で。水温が違うので凍らないんです。玄関出てすぐのところは屋根から落ちてきた雪や、色々ものがあるので完全に対策できるわけではないのでほんの1mほどの距離はしますけど。
玄関雪



積雪は列車のダイヤを乱します。今回新潟で電車が積雪のため一晩乗客を乗せたまま動かなかったニュースが話題になってましたが僕の帰りの電車にも大きな影響を与えました。僕が帰阪予定の日の特急列車はほぼすべて運休。特急の始発駅に行くまでの電車も動いてないので臨時列車を期待してその駅で待機することすら無理。そんなわけで予定より1日長くいなければいけないのが決定。さらに翌日のダイヤもまったく未定。ネットで状況を見られるといってもぜんぜん更新されないもしくはギリギリに更新(JRもわからないんでしょうけどね)なので情報価値なし。

天気予報とネットの運行状況を睨みながらも翌日朝一番で状況確認するため早々と就寝しました。

翌日も雪は止んでなくさらに積もった様。早々と続々と運行取りやめの情報が入ってきたのですが情報を読み取っていくとなんとなく特急の始発まではいけそうな感じ。さすが雪国の足の確保の本気具合はハンパない!一晩中頑張って除雪していた人がいたんでしょうね。車道の除雪も30年前とは違います。融雪装置がついている箇所は昔と比べてはるかに増えているしシステム化されている感じ。昔はバスが1時間半遅れてきたことあったけど今回5分遅れただけ。途中やや通りにくい箇所はあったけどわりと順調。雪の上を走る車たちもタイヤの性能を信じられるのかガンガン走ってるし。電車は時刻どおりに到着でしたが特急の始発駅まで5分ほど遅れて到着。ここまでは順調でした。


始発駅ではさすがのJRも長距離を移動する特急は場所により状況が違うのでかなり混乱している模様。みどりの窓口には気が遠くなるほどの長蛇の列。それでも並ばないと指定席が取れず自由席で立って行かなければならないことを考えると我慢して並びました。緊急時の増員したせいか混乱することに慣れているのか思ったほど待つこともなく自分の番に来たのですがどの列車が運休かわからない状況で席を指定するのは危険でした。それでも遅くなればなるほど運行取りやめになるだろうと判断し、ギリギリのところで指定できました。発車時刻まで時間があったので昼食を取りに。駅を離れることも憚られる天候だったので近くで済ませました。

ところがその指定の時刻に駅に戻っても先発の列車すら着いてません。これではいつになるかわからなかったので近くにいる職員に状況を確認するともうすぐ先発の列車が入ってくるから(!)それに乗るなら指定席をくれるというじゃないですか!そうすると僕が指定した席は誰が乗るの?と能天気な疑問もわいてきましたがそれより自分が帰ることを確実にするためにありがたくいただきました。お礼を言おうとしたのですが次々と質問攻めにあっていたので僕は心の中で済ませてしまいました。ありがとう、あの彼!


途中もものすごい雪でしたが普段と変わりないスピードで走る列車にややビビリながらそれでも帰りの目処がついたことに少し安心してました。時々点検しながら進んでいたので結局到着は1時間半ほど遅れましたが大阪はその困難もどこ吹く風、まったく通常の顔をしていました。



今回のことで感じたのは雪国の人たちの性格はやっぱり積雪がかなり影響しているんじゃないかということ。

雪が積もることで起きる状況への対処。家から出られないときの過し方、近所との協力をしつつも除雪するときにしなければいけない自分の責任、役割。

黙々と雪を運ぶ姿は諦めの境地というか。

僕は時間の制限もなくやりたい時間にやりたいだけ、写真取りながら雪と遊んでる感覚もありましたし良い運動になってダイエットにもなるだろうなあとか。久しぶりですし。

雪かき

黙っていても人間考えていることはあるだろうし、単純作業を繰り返しているのは禅僧が修行している姿にも似たような。実家のあるところの集落は禅宗の檀家の多いところでそういう気質が向いていたのかな?なんて考えさせられました。そうじゃない家もあるから後付けですけどね。

たまに手伝う程度ですが、親族で行う農作業を長くしていた地域性とかを垣間見たような気になった今回の帰省でした。


つらら






帽子の薀蓄100(転載)


以下のURLにはモノ・マガジン2016年9月16日号の記事が載ってます。東洋経済新聞とのコラボ記事で2016年の10月にアップされたものなのだそうですが帽子屋、帽子好き、帽子マニア、帽子オタクなどは読んだほうがいいと思うので勝手にリンク貼りました。モノマガジンさん、東洋経済新聞さんごめんなさい。

皆さんモノマガジン、東洋経済新聞の購入購読お願いします。


http://toyokeizai.net/articles/-/139891


『思わず人に話したくなる蘊蓄100章』ということで、すこし長い(5ページ)ので正直興味の無い話もある(失礼)のだけど、勝手に使わせてもらってるので抜粋してイチャモン、いや、コメントしてみようと思いました。



『12. 近代日本では明治4年の散髪脱刀令(断髪令)により髷を結う男性が激減、帽子が急速に普及した』

明治4年ということですから今からざっと140年程前、1875年ぐらいでしょうか、『国による事情で帽子を着用する理由が増えた』ということでしょう。まだまだ髪形のバリエーションもなく、ザンバラ、角刈り、丸坊主、整髪料なんかもあったかなかったかの時には帽子は使い勝手の良いアイテムだったんでしょう。まだオシャレグッズではなかったはずです。


『22. ブリムが周囲全体に付いている帽子を「ハット」、一部のみ、または付いていない帽子を「キャップ」と呼ぶ』

『帽子屋』くくりで帽子の日を『8月10日(ハットの日)』で制定されてもうちは関係ないんですよね、実は。



『45. 中折れ帽の代名詞的存在となっている「ボルサリーノ」とは1857年創業のイタリアの帽子の名店の名前』

何度か言ったことありますが帽子の種類でもなくお店(会社)の名前なんです。最早代名詞的にいわれる中折れ帽(ソフトハット)をそう呼ぶのは『ホッチキス』や『セロテープ』みたいなモンですね。


『60. ハンチング帽は19世紀半ばより狩猟に用いられるようになった英国発祥の帽子』

ここでは言い切ってますが『Hunting cap』は英国発祥でしょうが、『広まった』だけで生まれは詳細不明です。


『61. ハンチングは日本では「鳥打帽」とも呼ばれ、明治20年ごろから商人が愛用するアイテムになった』

さっきの計算では1890年ごろになります。先ほどからの諸説の時系列にやや不安はありますがドラマ『マッサン』の始まりが1920年ごろ、『天皇の料理番』が明治末期(1910年頃)、『バンクーバーの朝日』が1900年初頭、これらの時代背景をあらわすのに登場人物のほとんどが着用してましたね。この間の『お家さん』でも結構見られました。


『93. 「帽子を被るとハゲやすい」は根拠なく迷信に過ぎない』

声を大にしていいます。迷信です。科学的根拠がなく、はげている人の言い訳にされている帽子たちはむしろ被害者です。


繰り返しますが、記事内容が素晴らしいので帽子関係者ならびに興味ある人たちに広まって欲しいという思いで転載しています。東洋経済オンラインさん、モノマガジンさん、差し支えあればご一報ください。



帽子屋BAR 拝